【ミャンマーの歴史】

6世紀:ミャンマー南部にモン族がタイから移り住みました。

    

 

7世紀:ミャンマー北部にはピュー族が拠点をおきピュー王朝を建国しました。7世紀後半ごろから雲南の南詔からの攻撃を受けるようになります。

 

8世紀:南詔に属していたビルマ人がチベットから南下してミャンマー南部に移り住みました。

9世紀:下ビルマ(エーヤワディー川下流)にモン族がたタトゥン王国を建国しました。そして9世紀半ばには北部に拠点をおいていたピュー王朝が

    南詔から攻撃を受け、破壊されました。

    

    

 

11世紀:1044年頃、アノーヤタ王が初代国王となり統一国家「パガン王朝」が建国されました。このころ、モン族から学んだ仏教が広まり、

     仏教寺院が多く建設されました。そして、タトゥン王国もパガン王朝により滅ぼされました。

13世紀:パガン王朝はモンゴルから侵攻を受けて1287年に敗北し、1314年に滅びました。

     

14世紀:下ビルマ(エーヤワディ川下流)ではモン族がペグー王朝を建国しました。

     上ビルマ(エーヤワディ川上流)ではシャン族がピンヤ朝とアヴァ王朝を建国しました。

     分裂した王朝により、権力争いに発展して1385年からそれぞれの王朝の戦争が始まりました。

               

15世紀:ビルマ人のタビンシュエティー王が1486年にはペグー王朝とアヴァ王朝を併合したタウングー王朝を建国しました。

16世紀:第二代のナインナウン王の時にはチェンナイ、アユタヤ、ビエンチャンなどを征服してタウングー朝最盛期となりましたが、王朝を栄えさせる

     為の負担が国民に大きくのしかかりました。

     そのころイギリスやオランダが通商を求めてやってきましたが、タウングー朝は鎖国体制を取りました。

     下ビルマ(エーヤワディー川下流)ではモン族が反乱を起こしてペグーを占領、都のあるアヴァも攻撃をしてタウングー朝は衰退しました。

18世紀:アラウンパヤーがビルマを統一する為に「コンバウン王朝」を建国しました。アラウンパヤーはモン族を支配下にするために彼らの経典や書物を

      焼き払い、寺院・建造物を破壊しました。そしてモン族の住む漁村の「ダゴン」を占領して、その地を戦いの終わりを意味する「ラングーン」

      と命名しました。※後のヤンゴン

     その後、コンバウン朝はインド方面への進出を企んで、イギリス領であったインドとの闘いはイギリスと交戦することとなりました。

 

19世紀:3度にわたる英緬戦争(イギリスビルマ戦争)により、コンバウン朝は滅亡しました。ここからイギリスの植民地時代の始まりです。

20世紀:1940年にアウンサンが反英独立闘争を起こしましたが、イギリスにより闘争部員幹部が逮捕されてしまい、アウンサンは日本に亡命しました。

     日本に亡命したアウンサンは日本軍の協力を得て軍事訓練を受け、1942年にはアウンサンはビルマ独立義勇軍(BIA)を率いて

     日本軍と共にイギリスと戦いました。イギリス軍はインドに敗走して、ビルマで軍政を開始した日本軍は「ビルマ国」を建国しました。

     さらに日本軍はインドへの侵攻(インパール作戦)を検討しました。

     アウンサンはこの日本軍と協力姿勢をとり信頼関係をつくりあげ、密かに自国の独立を目指していました。

​     1945年アウンサンは日本とビルマ国政府に対してクーデターを起こし、再びビルマはイギリス領になりました。

     アウンサンの率いる愛国ビルマ軍は英国指揮下ビルマ軍に合併されました。アウンサンは1946年に英領ビルマ政府の行政参事会議長に

     任命されました。その後も完全独立に向けてのイギリスとの厳しい交渉や国家統一へ力を注ぎましたが1947年7月アウンサンは暗殺されました。

     親日家の「ウーソオ」が自分の野心のために暗殺したとされていますが、実際はイギリスが日本と組んだアウンサンを許せず、

     死刑囚として刑務所にいたウ・ソオが命と引き換えに暗殺の片棒を担がされたという説もあります。

     1948年イギリス連邦を離脱して、「ビルマ連邦」議会民主主義国家として独立に成功しました。初代首相は「ウーヌー」。

      しかし、ウーヌー首相は仏教を優遇したため、キリスト教徒の割合が多いカチン、チン、カレンなどの

     民族の強い反発を招くことになりました。そして1962年に「ネウィン」将軍がクーデターを起こし、ウーヌーが退陣しました。

     ここから社会主義政策が始まりました。国家役職者はすべて軍人または退役軍人になります。

     1974年には「ビルマ連邦社会主義共和国」と改名され軍部独裁政権が樹立されました。

     このころから学生を中心とした民主化闘争が始まりました。1988年にはデモ勢力が大きくなり、この民主化の指導者が「アウンサンスー・チー」

     でした。彼女は国民民主連盟(NLD)を結党しましたが、選挙前に自宅軟禁されました。

     1989年「ミャンマー連邦」に改名されました。

     1990年の総選挙ではNLDと民族政党が圧勝しました。2000年9月にアウンサンスー・チーは再び自宅軟禁されます。

     

21世紀:2006年首都はヤンゴンからネピドーへ移転されました。

     2007年ティンセインが首相就任しました。軍政主導からの改革が始まります。

     2008年新憲法案の国民投票が実施されて、民主化へ向かいます。

     2010年国旗が新しくなり、アウンサンスー・チーの自宅軟禁が解除されました。2011年ティンセインが大統領に就任しました。

     民政移管、「ミャンマー連邦共和国」に改名しました。

     2015年NLD(国民民主連盟)が第一党となりました。2016年にはティンチョーが大統領に就任しました。アウンサンスー・チーは国家顧問となり

     外務大臣と大統領府大臣を兼任することになりました。

​     2018年ウィンミンが大統領に就任しました。アウンサンスー・チーは国家最高顧問となり、外相を兼任することになりました。

     

     

    

    

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